本地区が歴史的に本格的な発展を遂げるのは,日本海から琵琶湖を経て京都に向かう湖上交通網が整備された15世紀以降のことである。特に江戸時代においては,宿場・港町として多くの人や荷物が行き交い,内湖を活用した荷物の積み出しや受け取りが行われ,旅人を相手とする商売が栄えるなど,港湾都市としての様相を呈していたと考えられる。特に海津は,陸路と航路の結節点に当たり,地域の生産品である淡水魚や石灰を含む多くの物資を,京都・大阪に運んだ。以上から「高島市の海津・西浜・知内の水辺景観」は,古来より北陸道や琵琶湖の湖上交通を背景として,輸送や商業活動それに携わる人々の流通・往来が生み出した極めて重要な文化的景観である。